韓国画家 キム・ヒョンジョン ARTIST Hyunjung KIM

江東文化新聞 | 上品な韓服を着ている「自由な女性」

媒体 江東文化新聞 区分 雑誌・定期刊行物 掲載日 2015.04.06 管理コード MI076

江東文化新聞2015年4月6日付(第8号)の文化面に掲載された韓国画家キム・ヒョンジョンのインタビューです。仁寺洞で韓服を美しくまとった作家に偶然出会った逸話から始め、韓服を現代人の社会規範・通念の比喩として用いるNaesoong連作の意味と、他人のまなざしから自由になれない存在についての考えを取り上げました。パク・イルギュ記者。

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上品な韓服を着ている

「自由な女性」

「キム・ヒョンジョンの絵にはウィットがあって笑いを誘いますが、まるでチャーリー・チャップリンのブラックコメディのように、見たあとに苦い後味を残します。それが私や私たちの姿と変わらないからです」

残暑が盛りだった8月、仁寺洞のカフェでアイスコーヒーを飲んでいたころ、ショーウィンドウの向こうで私の視線を奪った人がいました。

焼けつくような猛暑にもかかわらず、韓服を美しくまとったキム・ヒョンジョン作家でした。当時は彼女が誰なのか知らなかったので、「伝統の婚礼の最中だろうか、それともパフォーマンスだろうか」くらいに思って、また仕事に集中しました。コーヒーを飲み終えて画廊に絵を見に行ったとき、先ほど見た韓服の女性もその場にいました。

ギャラリーのスタッフは、彼女が韓国画を描く作家であることを伝え、作品についても簡単に説明してくれました。けれども私がキム・ヒョンジョン作家に投げかけた最初の一言は、作品についてではなく「暑くないですか」でした。

「暑いですよ。暑くて死にそうです。湿度も相当高い気がします」

意外な答えでした。韓服を着た自画像を描いているのだから「ふだんから韓服を好んで着ている」とか、「韓服の伝統についての弁」などを語るだろうと思っていた私の予想は外れました。

それから間もなく、キム作家の展示を見ることになりました。裸身で女性の全体の姿を描き出したうえに、韓紙を使って貼り重ねるコラージュ技法で描かれた作品のなかの姿は、礼儀と伝統性を象徴する韓服とは対照をなしているように見え、郵便局の宅配箱の上でチャジャンミョンを食べる姿や、バイクに乗って配達をする姿は、韓服という題材とは似合わないものでした。

「上品に見える韓服を着た女性が、いったいなぜ?」

ともすれば美しい現代版の美人図としか受け取られかねないキム・ヒョンジョンの作品を見ると浮かぶ疑問です。

彼女が語る作品のキーワードは「Naesoong(ネスン——本心を隠して取り繕う態度を指す韓国語)」です。Naesoongは大きくは表と内側が異なることを意味しますが、主に内側が抜け目ないときを指す場合が多いものです。

「表からは美しい色合いのチマの布に包まれて端正な姿に見えるかもしれませんが、その内側でどんなことが起きているかは誰にもわからないじゃないですか」

作家が用いた韓服は、現代人の暮らしの全体像をひとつの部分で示す提喩です。私たちはふだん、社会規範や礼節、道徳基準という韓服を着て生きています。韓服を着た姿を上品だと受け取ることも、これに当たるでしょう。

「私たちは無意識のうちに、自分で定めた観念をあまりにも当然のこととして受け入れています。これは私自身も例外ではないと思います」

今の社会の「自己満足」という巨大な言説は、皮肉にも、本当の自分の価値と本来の姿を忘れさせています。健康のためだという運動は、その意味が変質して、必要でもない筋肉をつけるために体を酷使させ、個性という言葉は失われたまま、誰が定めたかもわからないトレンドを追って不必要な消費を繰り返す。むしろ「満足」を得るために「満足」という名のくびきを背負って、苦しく生きていきます。

キム・ヒョンジョン作家の作品は、満足を得ようとする姿を、韓服という彼女ならではのくびきを借りて描き出します。韓服を着ることは当然、不便で面倒なことです。けれども作品のなかの人物たちは、韓服を着ている状態では決してできないような大胆なふるまいを、ためらいなくしています。こうした一連のふるまいは、実は日記や随筆を書くように、彼女がふだん考え、実際に生きている日常の一断面なのだそうです。そのためか、絵を見ていると、その形を見ることとあわせて、映画『トゥルーマン・ショー』のように誰かの日常を覗き見るような面白さまで加わるようです。

「存在の曖昧さと数多くの虚像に対する反発心が、作品を始めるきっかけだったと思います。そして作品を描き進めるなかで、これまで自分が率直だと感じていたもののほとんどが虚像であることを知り、作品が仕上がるころには、自分と他人のまなざしから生じた隔たりを、少しは解消できたように思います」

私が見ているのは自分自身ではなく他人です。だからこそ私たちは、他人のまなざしからも、他人を眺める自分のまなざしからも自由になれません。自分の姿をよりよく知っているのは、もしかすると他人であるかもしれません。

彼女は、そして私たちみんなは、こうしたまなざしと意識のなかで、永遠に本当の自由を味わえないかもしれません。けれども事情があって韓服を着ていても、それがどうしたというのでしょう。本当に大切なのは、どんな服を着ているかではなく、何をしたいか、何を望んでいるかでしょう。

ずいぶん経ってから、キム・ヒョンジョン作家に再会しました。

「今日は韓服を着ていないんですね」

「これも韓服です。改良韓服」

パク・イルギュ記者

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